投稿者「carks-hitorigoto」のアーカイブ

No.172 リミッターを外せ

日本人は、「極めて勤勉」な国民性を有しており、世界で見てもその特性は日系企業の最大の強みと言える。

その特性が発揮され、日系企業から生まれた様々な製品・サービスには高品質・高付加価値なモノが多い。

製品・サービスとしての進化を続け、他国ではおそらく追随することができないモノもあったりする。

携帯電話(フューチャーフォン)などのガラパゴス化・商品はその一例である。また非接触カードを軸としたサービスの仕組みは日系企業がグローバルシェアでもほぼ占有の状態である。

他国からすると「ここまで造り込むか」と思われていることだろう。

そのような製品・サービスが生まれる最も大きなポイントは、日系企業の人々の執念に近い働き方が源泉となっていると考えられる。

「コツコツと積み重ねて、成果につなげる」

これが、日系企業で成果を出している人たちの基本セオリーだ。

至極まっとうな考え方であり、自分も可能な限り見習いたい。

しかしながら、本当はこれだけではないはずだ。

「どうやったら他が追随できない成果が出るのか?」を考えてみる。

・成果を出せるスピードは人それぞれである。
・アイデア発想もその人のセンスに左右される。

また多くの人は、
「自分はこのくらいの人間だ」と考えている。

慎ましく生きていく上で、大事な考え方であることは否定しない。

「じっくりと人生に向き合っていきたい」
このような生き方も間違いなく正しい。

こう考えてしまうと、これで「終了」である。

「本当の成果を上げている人」の共通項をはかると、
この考え方を「リセットしている」のではないかと受け取れる。

なんらかのキッカケに遭遇し、

おそらく、
「リミッターを外した」のではないか、と考える。

リミッターとは、車などの制御装置である。

本来は高い出力を持っているが、制御をかけないと車体への影響、スピード制限などで問題が出るため、メーカーは必ず車体にリミッターが掛かる仕組みを施す。

車でもリミッターさえ外せれば、本来の力が発揮できるということになる。(必ずリスクも伴うが。)

人間にもリミッターがおそらくある。
そのリミッターは理性で制御される。

それを外すことができれば、どうなるのか? 

人は潜在している能力を発揮できるはずである。

あらためて考えると、高い成果を上げている人はこのリミッターを外すことに成功した人だと思われる。

何がキッカケでそうなったかは人それぞれだ。

もし自身でリミッターを外せるのなら、人は自分の持っている能力を開花できる可能性が限りなく高まると言える。

人には必ずなんらかの「固有の能力」があり、その人にしかない力を発揮できるはずである。

それを発揮できるか否かは、どう行動して、キッカケに辿り着くにかかる。

「リミッターを外せ」 

自分自身を追求していくのなら。

(株)シーアークス

No.171 創業から一年。

独り言をひさびさに再開する。(だいぶサボった。)

創業から一年が経過した。初めての決算もした。

会社を始めた1年前の自分と、
今の自分を比べるとどうなのか、と考えた。

「同じではない」とハッキリと言える。

一番変わった点は「経営者の捉え方」である。

コンサルタントという仕事をする上で、
経営者の見方について、コンサルタントとして自分なりのキチンとしたモノサシを持つべきである。
クライアントである経営者の考え方は、会社の未来を決め、コンサルタントの成果にも大きく影響する。

その考え方を見極め、コンサルタントは経営をサポートするべきである。
経営者そのものに問題がある場合は(その度合によるが)、是正のアドバイスをすることも必要とされる。

ただあらためて振り返ると、以前は「それまでに蓄積した経営者に対する見方」で捉え、コンサルタントという仕事をしていた。

これはこれで見当ハズレではなく、1年前はその見方で仕事としては成立していた。

ただ、自身の立場が経営者になったことで、これまでには見えなかったモノが見えてきている。

それは「経営者の喜怒哀楽」である。

これは前職では無かった感覚である。

経営者は他者に分からない様々な事を抱えている。
これは社員の立場で理解できることはない。
たとえ取締役であっても、全てを理解できることはないだろう。

この一年で、自身の経営を実践することでその点を現実のモノとして体感できたのではないか、と考える。

世の中には、経営コンサルタントは数多くいるが、
実は「経営を本当にやっている経営コンサルタント」は限られている。

経営をしていないコンサルタントには経験が無いが故に、
経営者の気持ちは実際のところは理解できない。

経営をしていないが故の立ち位置で、客観的な経営のアドバイスが有効な場合もある。
※ただそれは「コンサルタントとしてのセンスが優れている場合に限る」とあらためて思う。

自分の事を考えても、今の立場を変えなければ会社経営をやることは無かった。
本当の意味で経営者を理解できないまま、経営コンサルタントの仕事を続けていただろう。

会社を創業していく過程は、正直なところ苦しくもあった。
創業は二度と経験したくはない、と思ったりすることも多い。

しかしながら、
それを経験できたことは自分にとって大きな財産となっていくだろう。

シーアークス

No.170 情報の認識レベル

企業経営において、
問題は日常的に発生する。

「問題が起こること自体が当たり前だ」

と捉えている方が気持ち的には楽である。

ビジネスで問題が起こる要因として、
「情報認識の不一致」が多い。

複数の人間が介在する場合は、
認識を一致させることはそれなりに難易度が高い。

人の知識・思考レベルそのものが、
そもそも違うからである。

もし、お互いに相手を理解せず、
「自身の範疇で、様々なことを進めていきたい」
と考える人間であれば、まず問題の実態を理解できることはない。

潜在的な問題があるにも関わらず、見えないからである。

認識が違うにしても、近づけていくことは可能である。

近づけていくためには、
当事者間での努力が求められる。

情報の認識を合わせて、
最大の成果を目指していきたいのなら、

「互いを理解する努力がどれだけできるか」

それができれば、
おおよその問題は解決していく方向に進むだろう。

シーアークス

No.169 情報を見極める眼

世の中全体とおなじく、
ビジネスにおいても「情報過多」の状況にある。

情報を分類すると、下記になる。

①一般的なモノ
②流行りモノ
③本来は無くてもよいモノ
④どうでもよいモノ

特に

②流行りモノ
③本来は無くてもよいモノ
④どうでもよいモノ

が、著しく情報量を増やしている元凶である。

正直なところ、
「ここまで情報はいるのか、多すぎてウンザリ」
と感じる場合が多い。

公開されている情報の内で、
実際に本当に価値がある情報、
有益とされる情報、
はごく僅かだろう。

選ぶ側にとっては、
選択肢の幅を拡げるが、混乱の元でもある。

約16年前に、
「白物家電の国内販売動向に関する市場調査」
(日本電気工業会)
を担当した。

結論は、
「内需拡大→内需の買替需要をいかに促進させるか」
だった。

そのために、
「多岐に渡り情報発信を行い、買替需要を喚起させる」
ということが、
家電メーカー各社の戦略の方向だった。

いまでも同じだが、現在の様々な企業の
「国内需要を獲得するための情報戦」
にもつながっている。

これはこれで、
商品を供給する企業の立場としては、
「正しいアクション」である。

ただ、ユーザーの立場からみると、
これに「つられない」ことがポイントとなる。

選ぶ側には「情報の質の見極め」が重要視され、

その意識の必要性は、
より強く求められていくようになる。

見極める側の
「着眼・視点のレベルアップ」
は必須となるだろう。

シーアークス

No.168 自己認識と他者認識

「自己認識と他者認識」という言葉がある。

自己認識とは
「自分という人間の特徴(強み・弱み)の理解」
である。
自己認識のレベルは人により異なる。

いわゆる
「(自分の事が)分かってる、分かってない」
である。

他者認識とは、
「他人にこういうふうに思われたい自分を演出する」
ことらしい。
※我が強すぎると、すぐ演出できなくなる。

自己認識と他者認識が常に一致してる人は、
他者からの信頼度はそれなりに高い。

誰しも、人間として生きている限りは、

「人間としてどうなのか」

を極めていくことになる。

その上で、
「自己認識と他者認識」
はずっと考えていくテーマだろう。

シーアークス

No.167 モノの固有の価値

世の中には、いわゆる流行りの商品や商法・営業手法など多い。
嫌気がさすくらい氾濫していると言ってよい。

その内容を見ていくと、実際のところはどうなのか。

「これが今の常識」的な感じで、モノを売るためのテクニカルな事に偏重し、中身は?というモノも多い。

インターネットで商品紹介するランディングページなるものがある。
商品の特徴、客の声などの文章がひたすら書かれているサイトページである。ページの最後までみると、見る側の理解・納得を得られ?、購買行動につながるらしい。
ただよくよく見るとほぼ同じ形式・流れで文章などが構成されている。

このやり方は多い。というか増えすぎている。

それ故に「多すぎて信用できない」という局面にそろそろ入ってきているのでは、と考える。

売るためにどうするかを考えるのは、商売においては大事である。

ただ「売るためのテクニック論」のみでは、最後は全てが横並びとなる。
見る側から固有の特徴=価値を見い出されなくなる。

モノを提供する側が本当に追求すべきことは「価値ソノモノ」である。

テクニックに走りすぎて、大事なことを忘れた時点で、商売そのものが陳腐なものになっていく。

流行りモノの影響力は認めるが、冷静にモノゴトを見極める眼も必要である。

シーアークス

No.166 売上・利益と価値

売上・利益を判断軸にモノゴトを考えることは、
経営上では絶対に必要なコトである。

ただ一方で、それを最優先で考え過ぎてしまうと、何故か企業から顧客へ提供される価値が低下していく。

売上・利益は、企業の経営活動の成果である。

一方で、顧客が企業を支持する最大のポイントは価値である。

・企業はそのバランスを捉えることができているか、見失っていないか。

・顧客から評価されている価値について、顧客の視点とのズレはないか。

ビジネスの主体は企業だが、自分たちの都合が強くなり過ぎると、結果的に相手である顧客から認められなくなる。

その認識が崩れると、最後にはどちらの成果も崩れるということである。

本当に大事なことは、
「提供する価値を磨くことに力を傾け続けられているか」である。

それができるか否かが
「(継続的な)売上・利益の向上」につながる。

「何が本当に大事なのか」

ときおり、自身に問いかけることがポイントとなる。

シーアークス

No.165 企業の価値観の重要性

どの企業にも「大事にしたい考え方」がある。

企業価値観=経営理念や行動規範がそれにあたる。

ここに企業として、
「どうなりたいか、どうあるべきか」
という意志が明示されている。

経営環境は常に変化し、先行きは不透明だが、厳しい中でも企業の意志=価値観は揺るぎないモノでなければならない。

しかしながら、何故か価値観の共有が十分にできておらず、企業そのものが揺らいでいる、迷っていると感じることが多い。

何故このような状態に陥るか?

そもそもの価値観の共有を怠り=教育不足により、
マネジメント側が浸透レベルを低下させていることに起因する。

真因を探ると、本当の目的=企業の目指すモノは何かを伝えることに十分に時間をかけずに、数値目標の追求ばかりに走ってしまっているケースが多い。

マネジメント側は「伝えている」としているが、従業員側の捉え方では「伝わっていない」。

数字の追求しか印象にないというのが実態であり、目的も十分に理解できずに数字の改善を「やらされている」状態であると言ってもよい。

ここは労使の認識が大きく分かれるポイントである。

マネジメント層が考えているレベルでは、従業員には伝わってはいないことが多い。

この「認識レベルの不一致」が、結果的には企業そのものを迷走状態に追い込んでしまっていると考える。

目の前の問題解決は大事である。

ただ、本当の目的を理解しないで従業員が100%の力を発揮することはない。

企業の目指すモノを、熱意を持ってキチンと伝えた上でやらせているか、マネジメント層は自身に問わなければいけない。

・伝えるために意味のある時間をかけることができているか

・「(自分が)やらせたい目の前のこと」ばかりを伝えていないか

本当の意味で「企業の価値観の共有」ができれば、
会社全体で認識レベルを揃えることがてきたということになる。

それが実現できれば、問題解決の推進力はこれまでとは違うレベルになるだろう。

シーアークス

No.164 強い会社とは

着眼と基準があると、モノゴトを評価できる。

着眼とは、どのポイントで見るか、

基準はモノサシである。

何かを評価する際には、
着眼と基準が何もナシでということはあり得ない。

もしそれを持たずにやったら、
「当てずっぽうに評価した」ことになる。

経営上で最も大事になるのは「数字」である。

世の中には様々な業種・業態、企業規模の会社がある。

ただ共通点がある。数字に強い会社は、経営的に強い。

数字に強い会社とは、
「末端の社員までが数字への意識が強い会社」
を指す。

社内において、

①数字の管理は経営トップ・重職の専任事項である

②数字は社内開示して動機づけにつなげる
(正しい危機感を持たせる)

①②の社内展開は全く異なる。

①は経営トップの責任感が強いが故に、結果として数字を専任的に掴み、コントロールしようとする。

②は末端から数字への意識を高め、小さなリスクも敏感に反応できる組織をつくり対応している。
※人間で言えば、神経細胞を研ぎ澄ませている状態

どちらも正解だが、

②の方がリスク回避・変化対応力は高い。

数字の認識がどこまでさせられるか。

着眼と基準を正しく持つことは、本当に大事である。

シーアークス

No.163 目的・目標の共有

どんな取り組みをする場合にも、

必ず「ゴール=目的・目標(到達点)」がある。

他者との取り組みにおいては、
「ゴールイメージの共有=一致」
は大前提とすべきことであり、具体的な展開へつなげるためにも必須の作業である。

ここがズレている状態でモノゴトを進めていくと、展開プロセスがいつまで経っても具体化されず、おそらく、互いに満足できる結果にはつながらないだろう。

ゴールイメージの共有ができていない
=具体的な展開プロセスも共有されない

ということである。

ゴールイメージを共有する際には、相互の歩み寄りが必要となる。
※妥協ではなく。

その過程において大事なことは、
①成果を純粋に求めていく思考
②相手の思惑を汲み取る思慮
となる。

①②が欠けていると、
ゴールイメージの共有→展開具体化
は難しいだろう。

「目的・目標の共有」

は全てにおいて必須となる。